SSブログ

偏見

 偏見とは「かたよった意見。中正でない見解。」(広辞苑)であ
るが、少し見解を加えると、自己の持つ優位性を無条件に防衛す
るため、それを阻害するあらゆる事柄に反抗・反撃・危害を加え
ようとする心理的・体質的作用である。優位性とは立場の相違で
しかなく、生得的に得られたものや、属する集団の利害に関るも
のであり、自己防衛という人類普遍の癖の一つ、人として最も卑
しい現象、「贋」の一種である。
(偏見を「贋」の一種と断定する理由は、後段で述べる。)

 国鉄本社の幹部であった僕の顧客かつ友人から聞いた話。
アメリカに新幹線のコンサルで出張した時のこと、相手は黒人の
エリートであったが、一緒に昼食をとることになり、街に出たが
手近に白人専用食堂しかなく、何のためらいも無く入ろうとした
ら、そのエリートが「僕は入れない」と渋るので、何を構うもの
かと強引に入ったとたん、レジの若い女の子がその黒人に水をぶ
っかけたという。友人は「黒人蔑視がこれ程とは思わなかった。
申し訳無いことをしてしまった。」と言っていた。
 このような蔑視の環境は、個人が主体的な意思で考え出すもの
ではなく、集団の利害から集団意識として醸成され、個人は集団
意識に同化され、体質化され、殆ど無意識に偏見行動を起こすも
のらしい。即ち、偏見に限ったことではないが、主体的に物事を
考えないことが「贋」を蔓延らせるのだ。
例えば、つい最近まで朝鮮人蔑視というのがあった。僕が子ども
の頃、偏見などとは無縁と思われるような大人までが、朝鮮人蔑
視を口にしていたのを思い出す。「奴らはどうしようもない木偶の
棒だ。」と。そして現実にそのような状況も一般的にはあったので
ある。これは前に記したような、強制自白と同様の構造があった
ためと考えられる。「馬鹿、馬鹿」と周囲全体が言い続けると、本
人は反論することに疲れて、馬鹿になる方が楽になることに妥協
してしまうのだ。即ち、蔑視する方も、蔑視される方も主体的な
意識無く妥協することによって、束の間の安寧を貪るのである。
勿論、両者の側に「嘘の自白」を頑として撥ね付ける人々が常に
居た。しかし、「真」を主張する声や行動は、世の空気に対抗する
には圧倒的に弱体で、政治や経済の時代的経過を待たなければな
らなかった。
 このような偏見の系譜は、自由平等という人間の基本的人権と
は無関係に、自己の利益を無意識的に守ろうとする空気から始発
しており、体制の如何に関らず常に存在してきた。

男尊女卑は、現在に至るまで各地に巣食っているが、性差という
偏見が役立つ社会的な環境・文化も、命脈を保ってきた原因の一
つだろう。
一時ウーマンリブと言う女権拡張運動が盛んになった時期がある
が、これなどはごく一部の女性の扇動に多数が付和雷同した例が
多かった。 大多数の女性は男尊女卑の環境をぬくぬくと享受し
て、権利の拡張に伴う責任を回避したいと考えているのが実情で
はないか? 
現役時代、年商5~10億円規模の新商品による事業を立ち上げた
ときのこと。社内に、女性には小間使い的な仕事しか与えられず、
客先にいくことも無い、昇進のチャンスも無いと不満を公言する
女性がいた。確かに、当時そのような状況もあり、女性の能力を
見くびり、それを活用しようなどという考えは全くなかった。
偏見の一種である。
そこで僕はその言動から営業活動で能力を発揮し得るものと直感
し、新製品の拡販員として引き抜くべく活動を開始した。本人が
興味を示したので、前例が無いという理由で渋る人事部を説得し、
条件を整えたが、本人に伝えると、今の部署で自分が居なくなる
と業務に支障が出るからと断ってきたのだ。責任の伴う新しい仕
事より、非難攻撃してきたぬるま湯の現職場の方が居心地が良い
ということなのだろう。
 このように、時の「正論」に便乗して権利は主張するが、責任
と義務は果たしたくないと言う例、風潮に乗って社会を非難する
人が、将にその弊害を助長・温存する当事者であることを自覚し
ていないと言う例は枚挙に暇が無い。これがエスカレートすると、
アングロサクソン優位を唱え、大虐殺を行ったような史実にも行
き着くので、軽々に見過ごすことはできないのだ。

「真」とは普遍と同義語と前に定義したが、科学的事実のように、
条件により変化しないものである。偏見は、その全てを「条件」
に依拠しており、力関係によって変化し得るものだ。この世で普
遍的なものは利害しかないのだから、それをベースにした偏見は、
時の流れとして正しいと言うのは詭弁でしかない。
ここで、価値とは何かという根本問題に立ち返っても、混迷は深
まるのみである。事実たる「真」に対してどうかと言うことから
考えなければ結論は永遠に得られないだろう。
意見を全て排除した、人類としての事実とは、動物として、いや
生物として生存していると言う一点にしかないのではないか?
 日本国憲法第97条では、基本的人権を「人類の長年にわたる
自由獲得の努力の成果であって、侵すことのできない永久の権利」
であると定義している。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

いかのおすしお客様は王様か? ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。