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お客様は王様か?

お客様は王様か?
 「お客様は王様」ということが言われはじめて久しい。あらゆ
る企業活動が、これを金科玉条にしているように見える。
嚆矢は松下幸之助だろうか。氏は「水道哲学」なるものを喧伝し、
万人が水道の水を使うように安くて有用な商品を使用することが
できるようになれば、民心は安定し、企業も栄えるというものだ。
企業の存立は売り上げによって保たれるものだから、売り上げが
増大し、しかも民心に寄与するとなれば、八方満足、流行の言葉
で言えばWin-Winの関係を築くことになり、申し分ないと言え
る。しかしこの命題には、貧相な正論の臭いが付きまとう。
「お客様は餌食です。」と言えば、企業は結果として真当な活動
ができなくなり、企業の存立さえ維持できなくなるだろう。
皮肉な見方をすれば、自己の存立を正当化するための方便と考え
ることもできる。
また、物質的な充足が全ての目的になり得るかと言えば、そうで
はないことも首肯できるだろう。
現代の企業戦術の大部分が、「お客様は王様」を至上命題として
展開されているのを見ると、手段が目的になっているのではない
かと疑わせるものもある。僕の経験から言うと、このような風潮
は実は1980年代以降世界的に蔓延してきたものである。

 韓国には、北部の無煙炭を工業地帯の南部に運搬することを主
目的とする産業線と呼ばれる鉄道がある。全線の電気設備はフラ
ンスのBrown Boveri社が納入していたが、沿線に重篤な通信障
害が発生し、特に長距離電話は全く通じないという状況であった。
原因は、安価なサイリスタ一段制御による機関車から発生する高
調波(実電流から仕事をするための商用周波電流を差引いたひず
み波成分)が並行する通信線に誘導障害を惹起するものだった。
KNR(韓国鉄道庁)はBB社に度々クレームを提起したが、解決
のノウハウが無く、契約書通りを楯に頑として受付けなかったと
いう。このような状況で、僕が所属していた専門メーカーに相談
があり、調査に出向することになった。出向に当たっては、当時
未だ朝鮮蔑視があった時代背景もあり、会社からは「ノウハウは
絶対に漏らすな。」という厳命を受けた。
現地の沿線変電所を視察して驚いたのは、変電設備がおもちゃで
はないかと思う程チャチなもので、日本規格では不合格になるも
のが大半であったことだ。現実に事故が多発し、碍子が吹き飛ん
だ遮断機などがそのまま運転されている状況だった。
KNRの技術者に、「規格違反の機器は、BB社に取り替えさせる
べき。」と言ったが、「彼らは見積書を持ってくるだけで、何も
相談に乗ってくれない。もう彼らに何も言う心算は無い。今度
来たら蹴り倒してやる!」と相当な剣幕だった。
1960~70年代当時は、BB社だけでなく、価格が最重視される
受注競争を勝ち抜くため、日本の主要重電機器メーカでも途上国
ロットと称する安かろう悪かろうの製品を国内向けとは別に作っ
ていたことが分かっている。このような製品は保証期間の1年間
は事故を起こさないように設計するのが‘技術力’とされていた。
1年経過後に多発する事故に対しては、契約書で防衛し、次の更
新需要に備えるのだ。途上国では、多くの機器が国産できない状
況にあって、外国の機器を採用せざるを得ないのだが、この結果
は現場にしわ寄せされ、現場の技術者には海外製品・技術者に対
する不満が蔓延していた。特に歴史の問題を抱えた日本に対して
は警戒心や敵愾心が強く、渡韓当初はあからさまな非難攻撃を幾
度となく受けた。この様な状況にあって、現場・現物・現実主義
の僕はハングルの勉強をし、打ち合わせで理解されていないと思
われることの解説を含め、打ち合わせ翌日にハングルで打ち合わ
せ記録を提出することを続けた。また、変電所視察で散見された
商売とは無関係の問題点についても、現場で測定したり修理を手
伝ったり、改良提案書を提出したりした。これには回路技術の専
門家としてのノウハウが大いに役立ったが、ノウハウは与えるな
と会社から厳命されたことは完全に無視した行動だった。
あるのは、同じ技術者同士の理解の共有で、顧客に喜んでもらう
ことが大き動機だった。顧客からは「貴方は寝ずに仕事をする。」
と急速に打ち解けていった。(現実に韓国に行くと、資料作成に
徹夜の連続だった。)このような行動で顧客技術者の共感を得た
ためか、僕は変電設備の無償コンサルの様相を呈し、果ては韓国
電力との交渉も、KNRを代行して行うまでになった。さすがに
これにはKNRの他部門から問題視されたようだが、電気局長の
意向で規定路線となった。
 この様な経緯で、産業線全19変電所に歪波を除去する交流フ
ィルタ設備を納入し、通信障害の問題は解決した。
技術者として、諸々の問題を解決していく達成感を共有した結果
はどうだったか? 商談は交流フィルタ設備の納入後も続き、BB社
製品の取替え需要にも対応することができ、これは僕が現役を引
退するまで、ほぼ20年に亘って続いた。国際入札が義務付けら
れた国有企業から、BB社の恐らく2倍以上の価格の製品をこれ
だけの長期間に亘って採用頂けたことは、驚異的と言えるが、他
社製品で貧すれば鈍するを味わせられてきた面々は、入札に当た
って他社排除の仕様とすべく相談があり、これに協力してきたこ
とも一因だと考えられる。
 30回以上に亘る韓国出張では、鉄鋼メーカーなどにも営業活動
を広げていったが、ASEA社など世界一流のメーカーが納入した
設備についてもKNRと同様の状況で、海外メーカー不信が蔓延
ていた。「海外メーカーは、売りつけるだけ売っておいて、クレー
ムには一向に対応してくれない。」と。Asea が納入したSeoul
地下鉄の設備は重篤な技術的な問題を引き起こし、大幅な運転
開始遅延により市長が更迭されたのはその一例に過ぎない。
僕はここでも技術者根性を発揮し、顧客の困っている問題を無償
で解決していった。これらの企業のいくつかからも受注すること
ができたが、何れも問題解決の達成感を共有したことが結果に結
びついたものである。
お客様は王様でなく、経済的な信頼性の高いシステムの構築を使
命とする技術者仲間だった。
 韓国への設備機器納入が一段落した1980年代に、拡販目的で
渡韓し、かつて訪問した鉄鋼メーカーやSamsung電子などを訪
問した。そこで聞いた話は、十数年前とは全く異なった拡販環境
だった。海外メーカーへの非難は影を潜めるだけでなく、彼らへ
の賞賛が聞かれたのである。クレームを提起すると、その日のう
ちにやってきて、原因調査の測定など無償でやってくれる。
大手のメーカーは韓国内に出張所などを設け、技術者も常駐して
いる。等々。この様な変化は、世界的に「お客様は王様」が言わ
れ出した時期に一致しているように思える。
 この様な激変の一例は、国鉄民営化(1987年)にもある。
国鉄は、メーカー各社から「お客様は餌食」を実行された代表例
であり、JRS(国鉄規格)はメーカーが都合の良いように作った
ものが大部分で、談合や不当な高値販売が当たり前だった。
この様な状況で、現場の規律も乱れに乱れ、真面目に仕事をする
人は、組合の敵として糾弾される現場を幾度と無く見てきた。
切符切りが、ふてぶてしい態度で客に因縁を吹きかけるなどは日
常茶飯事で、不愉快な経験をされた方も多いだろう。
この様な職員の態度が、民営化を境に激減あるいは皆無となった
ことを鮮明に覚えている。原因は何であったか? 上記の例と同
じように、顧客に奉仕することなく、自己の存続はあり得ないこ
とが認識されるようになったためであろう。
仕事の目的が明確になり、それに生き甲斐を感じることができる
ようになったためだろう。

 以上のような業務風土の変革は、何れも自己の利益を確実なも
のにするという動機で起こされたものである。
近年はコンビニでも、「ありがとうございました。またお越し下
さいませ。」とロボットのように決まり文句が言われるが、自己
の利益に視野が狭窄された思考、行動が破綻するのは、理の当然
である。

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